もともとは令和元年を期しての改元記念企画だったのに、1年近いブログ放置で気付けば令和2年も半ば近くに😓
日本国憲法の基本原理の1つ「国民主権主義」をめぐる、1946年8月26日、第90回帝国議会貴族院での宮澤俊義議員vs.金森徳次郎国務大臣の論戦を題材にした連載第4回目。
いよいよ、宮澤先生のかの有名な学説「八月革命説」の核心部分が登場します!
おさらいしますと、宮澤議員が憲法学の専門家の立場から質したのは下記の7点でした。
(うち連載前回分までで1~5を取り上げました)
(うち連載前回分までで1~5を取り上げました)
1、ポツダム宣言受諾は、国民主権主義の承認を意味する
2、国民主権主義は、終戦までの憲法の根本とは原理的に異なるものである
3、新憲法草案は国民主権主義を採用しているはずだ
4、主権者たる国民の中に天皇が含まれるとの説明は不適当である
5、国民主権主義の承認を核心とする新憲法は、従来の国法上は「国体の変革」にあたる
6、国民主権主義の採用を内容とする憲法改正は、明治憲法第七十三条の手続きに依っていると同時に、それを超えて行われるものである
7、明治憲法第七十三条の憲法改正手続きに依ることは、新憲法が民定憲法であるとの建前と矛盾があるのではないか
2、国民主権主義は、終戦までの憲法の根本とは原理的に異なるものである
3、新憲法草案は国民主権主義を採用しているはずだ
4、主権者たる国民の中に天皇が含まれるとの説明は不適当である
5、国民主権主義の承認を核心とする新憲法は、従来の国法上は「国体の変革」にあたる
6、国民主権主義の採用を内容とする憲法改正は、明治憲法第七十三条の手続きに依っていると同時に、それを超えて行われるものである
7、明治憲法第七十三条の憲法改正手続きに依ることは、新憲法が民定憲法であるとの建前と矛盾があるのではないか
残る論点6と7は、憲法改正手続きに関する質問です。
なぜこれが大問題になるのかは、憲法学に親しみが薄いとわかりにくいのですが、このあたりはおいおい考えていきます。
第73条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ
2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス
1項が明治憲法改正案を発議する手続きを定め、2項で改正案を帝国議会が審議する際の定足数等を定めています。
注目されるのは、憲法改正案は「勅命をもって」、つまり天皇の権限によって議会に付されるということでしょうか。
繰り返しますが、明治憲法では天皇が「統治権を総攬」(第4条)する主権者であり、かつ憲法制定権者でもあるので、改正手続きについてもしかるべき地位が与えられています。
(とはいえ、憲法の案文を天皇自ら書き上げるなどは帝国憲法下でも絶対に考えられず、実際には政府が作りあげた憲法の案を「勅命」という形で発することになる)
因みに、同じ明治憲法第7章「補則」には、
「第75条 憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」
との条文もあります。
摂政を置くときとは、天皇が病気等で権限の行使や意思表示ができない状況ですので、主のあずかり知らぬ間に勝手に憲法を変えてはいけないよ!ということなのでしょうか。
いずれにしても、大日本帝国憲法には「憲法改正」の条項があるとはいえ、「君主主権主義」の範囲内での手続きとして想定されているのがポイントです。
ところが1946年に帝国議会に提出された「帝国憲法改正案」は、日本の敗戦と「ポツダム宣言」受諾という激動の情勢を背景に、「国民主権主義」を採用したものでした。
こうしたことから、「君主主権主義」を前提とした明治憲法第73条を使って、「国民主権主義」の憲法を生み出すことは可能か?
という、憲法学上の大問題が提起されるわけです。
一般庶民の側からすると、実生活上のというよりは法理論上の論点なので、いささかわかりにくい面はあるのですが、理論や手続きをないがしろにしてはいけないという憲法学者の熱意ゆえの質問なので、興味か根気のある人はお付き合い願います。
前置きが長くなりました。
宮澤議員の演説を見てみましょう。
6、国民主権主義の採用を内容とする憲法改正は、明治憲法第七十三条の手続きに依っていると同時に、それを超えて行われるものである
―――――
〇宮澤俊義君 ……次に第六点、明治憲法第七十三条に依つて、国民主権主義の採用を内容とする、憲法改正が許されるかと云ふことであります、従来学説では、明治憲法第七十三条に依つて、所謂国体の変革を定めることは許されないとせられて居ります、即ち明治憲法は治安維持法に所謂国体の原理に立脚して作られたものでありますから、其の定める憲法改正手続に依つて、其の国体変革を定めることは、論理的に矛盾であり、法律的には許されないと解されたのであります、従つて若し終戦以前に於て、何人かが此の憲法改正案と同じ内容を持つものを提案したと仮定するならば、其の者が治安維持法違反として、罰せられるかどうかは別としまして、少くとも彼の憲法改正の提案は、恐らく憲法上許されないと考へられたと思ひますが、政府はどう御考になるでせうか、私は此の度の憲法改正草案は、其の前提として「ポツダム」宣言受諾に依つて齎された、我が国の政治体制上の根本的な変革、此の変革は学問的意味に於て、之を革命と呼んでも宜いと思ひますが、其の言葉が若し誤解を招く虞があるとするならば、之を一つの超憲法的な、憲法を超えた変革と呼んでも宜いかと思ひますが、さう云ふ変革を考へなくては、それが憲法上許される所以を説明することが出来ないと思ひます、即ち此の度の憲法改正は、単純な明治憲法第七十三条に依る憲法改正ではなくて、終戦に依つて行はれた、超憲法的な変革に基き、其の根拠の上に、明治憲法第七十三条に依つて、併し同時にそれを超えて行はれる、憲法改正だと思ふのでありますが、如何でありませうか、―――――
「ポツダム宣言」受諾によって、「革命」とでも呼ぶべき「超憲法的」な体制変革があったため、従来は憲法上許容されなかった(ことによると治安維持法違反にも問われかねない)憲法改正が可能になった。
だから今回の憲法改正は、明治憲法第73条に依拠しつつも、それを超えて行われると法理論上整理しておくべきだというわけ。
これが「八月革命説」です。
さて、次に金森国務大臣の答弁ですが、結論から言うと、「八月革命説」には与しない立場が鮮明です。
―――――
〇国務大臣(金森徳次郎君) ……第六の質問と致しまして、憲法七十三条に依つて国民主権主義の採用を内容とする憲法改正を行ふことが出来ないではないか、斯う云ふ御尋であつたやうに思ひます、若しも日本の此の本当の意味の主権が、此の前後に於てはつきり変つたものと致しまするならば、宮沢君の御質疑の如く七十三条に依つて今回の憲法改正を為すことが、種々なる疑惑を伴つて来る余地があらうと存じます、併し私共は其の前提を異にして居るのでありまして、日本の主権は実質的には変つて居ないと考へて居りまするが故に、憲法七十三条を通じて此の憲法改正案が議会に提出せらるる其の手続の上に於て一点の疑はしき点は伏在して居ないと考へて居るのであります、日本の国家は過去も現在も其の本質に於ては変る所はありませぬ、従つて其の基本の本質に従して前の憲法を基礎として、其の条項に基いて、新たなる憲法の改正案が立法の機関に付せられると云ふことに一点の疑も持つては居りませぬ、―――――
金森国務大臣も「日本の…主権が…はっきり変わったものと致しまするならば」、宮澤議員の指摘が正しいと認めているように、ここでもやはり争点は、憲法上の主権者が「君主」から「国民」に変わったことを正面から認めるか否かです。
政府側の立場は、日本国家の本質は明治憲法でも新憲法でも変わらない、だから明治憲法第73条の手続きに依ることに疑念が生じることもないという回答でした。
(続く)