シリーズ最終回です。
7、明治憲法第七十三条の憲法改正手続きに依ることは、新憲法が民定憲法であるとの建前と矛盾があるのではないか
日本国憲法の前文では、
「主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
と謳う一方、手続き面では明治憲法の条項を利用する憲法改正として行われました。
このことから、憲法学的にどんな問題が具体的に生じてくるのか?が今回の主題です。
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〇宮澤俊義君 ……最後に第七、民定憲法の建前と、此の度の憲法改正手続との関係は、どうであるかと云ふことであります、此の憲法改正草案は、国民が之を制定すると云ふ建前、所謂民定憲法、民が定める憲法と云ふ建前に立脚して居ります、此の事は三月六日の詔書でも、亦改正案の前文でも極めて明白であると思ふのであります、所で政府が此の憲法改正案は、明治憲法第七十三条に依るものとして取扱つて居られるのでありますが、是は民定憲法と云ふ建前と何処迄両立するでありませうか、明治憲法第七十三条は御承知の通り、所謂民定憲法の建前は採つて居りませぬ、憲法改正は議会の議決と、天皇の裁可に依つて成立する、と云ふ建前を採つて居ります、衆議院の速記録に依れば、金森国務大臣は、此の改正案は明治憲法第七十三条に依るものでありますから、勿論議会の議決の外に、天皇の裁可があつて初めて成立する、と説明していらつしやいますが、若しさうとすれば此の改正は貴族院の意思に反しても、又天皇の意思に反しても、成立することが出来ないと云ふことになるのであります、明治憲法第七十三条の建前から言へば当然さうなくてはならないのであります、併しさう云ふ建前に基く憲法改正、貴族院の意思に反しても、亦天皇の意思に反しても成立することが出来ないと云ふ憲法改正の前文が、どうして日本国民は此の憲法を確定すると宣言することが出来るのでありませうか、
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大日本帝国憲法の第73条に基づいて改正を行うということは、新憲法を成立させ公布・施行するまでの間に、
・帝国議会(衆議院・貴族院の両院)による議決
・天皇による裁可
などが必要となります。
普通選挙により選出された衆議院はともかく、貴族院や天皇の許可がなければ新憲法が成立しないのでは、「国民が確定した憲法」(=民定憲法)という前文の建前とは矛盾するのではないか、というのが宮澤議員の指摘です。
天皇の「裁可」ですが、大日本帝国憲法第6条にも「天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス」との規定があります。
明治憲法下では、帝国議会が法律案を可決するだけではダメで、天皇による「裁可」の手続きがあって初めて法的効力が生じるという仕組みになっていました。
実際上は天皇が「裁可」を拒否した例はないようですが、とはいえ天皇が認めないと法令が発効しないというのは、民定憲法の建前と矛盾するのではという懸念が生じます。
因みに現在の日本国憲法をよく読むと、「前文」よりさらに前に「上諭」(じょうゆ)という文章と、国務大臣による「副署」が付されていて、
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朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。―――――
御名 御璽
これが「上諭」ですが(下線は筆者)、やはり天皇が「裁可」して公布に至ったことがわかりますね。
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〇宮澤俊義君 ……政府の趣旨は或は此の憲法改正は必ずしも民定憲法の建前を採るものではなくて、其の改正手続は全く明治憲法第七十三条に依るものだと云ふにありとも解せられます、併し若しさうだとしますれば、何が故に其の前文で日本国民は此の憲法を確定すると云ふやうな典型的な民定憲法、例へば「アメリカ」合衆国の憲法で用ひられて居るやうな言葉と同じ言葉を用ひたのでありませうか、此の改正が公布せられる場合は、恐らく公式令に依つて天皇が議会の議決を経た憲法改正を裁可すると云ふ趣旨の上諭か付けられることと思ひますが、さう云ふ上諭の言葉と此の前文の言葉との間には明白な矛盾があるのではないでせうか、
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このことから、貴族院の議決や天皇の裁可の法的な重みをどう考えたらよいかという問題が生じます。
もし「国民の代表」ではない貴族院や天皇が拒否権を持ち、衆議院の意志を否定してしまったら、民定憲法の建前は成り立たなくなるからです。
なお、宮澤議員の発言に出てくる「公式令」とは、
明治憲法下で、各種法令や条約の公布の方式を定めていた勅令。明治40年(1907)制定、昭和22年(1947)廃止。(by デジタル大辞泉)
その「公式令」の第3条には「帝国憲法ノ改正ハ上諭ヲ附シテ之ヲ公布ス」とありました。
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〇宮澤俊義君 ……政府は明治憲法第七十三条に依る改正手続に於ても、国民の代表者たる衆議院の議決があるから其の改正を以て日本国民が之を確定したものと考へることが敢て不当でないと解するもののやうでありますが、明治憲法第七十三条に依る限り、国民の代表者と考へることの出来ない貴族院や、天皇の意思に反しては改正は絶対に成立することが出来ないのであります、国民の代表者の意思のみに依つては改正は不可能なのであります、諸国の憲法の前文に国民が之を制定する旨を宣言する例は極めて多いのでありますが、それ等は孰れも現実に国民の代表者たる憲法議会に依つて制定せられて居ります、国民の代表者でない貴族院の議決と、天皇の裁可なくしては成立することが出来ない、憲法の前文に国民が之を制定すると書くのは何としても矛盾ではないかと思ひます、
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この矛盾を解決するためには、
①民定憲法の建前に徹する(この場合、天皇による「裁可」は不可能だし、貴族院の審議権も衆議院と同等とは考えられない)
②明治憲法の建前に徹する(そうすると憲法改正案前文の国民が憲法を確定の文言は事実に合わないことになる)
の二者択一を迫られますが、政府はどう決着するつもりかというのが7番目の問いの結論です。
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〇宮澤俊義君 ……此の矛盾を解決するには国民が憲法を制定すると云ふ建前即ち民定憲法の建前に徹するか、或は明治憲法第七十三条の建前に徹するか、此の二つ以外には途はないのではないかと思ひます、此の憲法改正に付て若し前の途を採るとすれば、即ち民定憲法の建前に徹するとすれば、天皇の裁可と云ふことは理論的には不用となると考へられますし、又貴族院のそれに対する審議権も衆議院のそれと同等の「ウエイト」を持つものではないと考へられなくてはならないのであります、若し之に反して後の途を採るとするならば、即ち明治憲法第七十三条の建前に徹するとするならば、此の改正は天皇の裁可と貴族院の議決なくしては成立することが出来ないことになります、其の結果日本国民は此の憲法を確定すると云ふ前文の言葉は事実に合しないことになると思ひますが、此の点に付て政府はどう御考になるでありませうか、以上七点に付て御質疑申上げた次第であります―――――
さて、ここからは金森国務大臣の答弁です。
最初の部分は、宮澤議員の質疑の趣旨を大臣なりに要約したもので、
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〇国務大臣(金森徳次郎君) ……次に第七の論点と致しまして、今回の憲法は言はば民定憲法の如くに思はれる、して見れば七十三条の此の欽定的憲法の規定を基として手続を執り行ふことは出来ないのではないか、甲ならむとすれば乙の方に矛盾をするし、乙ならむとすれば甲の面に矛盾をするのではないか、斯う云ふ御質疑でありました、
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1~6問目のときと同様、核心部分についてはきちんと読み取ったうえで答弁に立っていることがうかがわれます。
因みに「欽定(きんてい)憲法」とは君主が制定して国民に与える形式の憲法のことで、国民の名によって制定する「民定憲法」と対をなす概念です。
もちろん明治憲法は「欽定憲法」、日本国憲法は「民定憲法」に分類されます。
さて答弁の続き。
こんどは日本政府の立場(考え方)を説明した部分です。
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〇国務大臣(金森徳次郎君) ……それは一面に於て左様な意味は含まれて居ります、何となれば我々は日本国家の完全なる永続性を信じ、其の国法の基礎に於て変つた所はない、次第に種々なる国家の政治的機関が憲法に依つて遷り変つて行くだけであります、斯う云ふ風に考へて居ります、従つて国内法の問題と致しましては、日本憲法の改正は、現行憲法の七十三条に依つて行ふべきものである、それ以外に方法はないと考へて居ります、併しながら国際面に於きましては「ポツダム」宣言を受諾致しました結果として、新たなる国家組織を決めます為には国民の自由なる意思決定に依らなければならぬのでありまして、言はば民定憲法の如き原理を採らなければならぬのであります、斯くの如く国内法的見地に於きましては現行憲法七十三条の手続に依ることが正当である、而して国際の面に於きましては「ポツダム」宣言の内容を充実させなければならぬ、斯う云ふ両面の拘束を受けて居るのであります、此の二つの要請が若しも全く一つの手続に依つて包容し得られないものであると致しまするならば、今回憲法を提出致しました政府のやり方は意味の無いものであると言はなければならぬと思ひます、併しながら若しも此の二つの要請が一つの手続の中に満足せしめられて行き得る、それが今回政府の執つた態度であると致しまするならば政府の態度は理由ありと言つて宜からうと思ふのであります、私は此の後の解釈を採つて考へて居る次第であります、―――――
要点としては、
・国内法体系に沿った手続きとしては、明治憲法第73条に依るほかはない
・国際的には「ポツダム宣言」受諾により、「民定憲法の如き原理」(「民定憲法の原理」そのものではない???)、を採用せねばならない
・上記2つの拘束(国内事情と国際事情)を1つの手続きで両立可能か否かが問題なのだが、政府としては両立できるとの見解を採用している
というあたりか。
とはいえ、宮澤議員が指摘する点(民定憲法の建前と、天皇や貴族院の関与が矛盾する)への政府側なりの回答をしなければなりません。
それが次の部分。
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〇国務大臣(金森徳次郎君) ……唯さう致しますると、曩に宮沢君の鋭く御質疑になりましたやうに「ポツダム」宣言に依れば貴族院の議決も要らないし、又天皇の御裁可も要らないし、遡つては天皇が議案を提出を命ぜられると云ふことそれ自身にも問題が生ずるではないか、斯う云ふ疑が起るのであります、併し私は斯う云ふ色々な解釈上多少疑惑を生じまする事項は国内問題と国際問題との調和を図ります場合には往々にして起るのでありまして、之を一貫せる原理的な解釈方法はないものと思つて居ります、詰り此の二つの相異る要請を若しも個々の場合に正当に満足せしめ得る方法があるならば、其の方法に依るべきものと思つて居る訳であります、―――――
明治憲法の改正手続きと「ポツダム宣言」の履行との間には、憲法解釈上は「多少疑惑」を生ずるが、「国内問題と国際問題との調和」をはかる場合にはある程度の割り切り、現実的な対応はやむを得ないといったニュアンスでしょうか。
いよいよ次が金森答弁の最後です。
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〇国務大臣(金森徳次郎君) ……そこで「ポツダム」宣言は国民の自由なる意思決定に依ると云ふことを条件として居ります、併し憲法七十三条に依りますると改正手続に於ては其の他に、天皇の案の御提出、貴族院の議決、天皇の裁可、此の三つの手続が其の上に加つて居る訳てあります、従つて物が順調に運びますれば、憲法七十三条に依りまして執る手続は、同時に「ポツダム」宣言の要請を充すに足るものと考へて居ります、併し物が順調に行かなければ或は「ポツダム」宣言の要請を完全に実現することの出来ない破目に陥らないとは断言出来ませぬ、併し国家の動きの上に於きまして、容易に斯かる懸念を持つ必要は生じなからう、斯う信じて居る次第でございます
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「ポツダム宣言」で条件とされている国民の自由な意思決定のほかに、明治憲法第73条により必要となる3つの手続き、すなわち、
①天皇の勅命による憲法改正案の議会提出
②貴族院の議決
③天皇の裁可
が付加されることになるのだが、"物事が順調に運ぶ場合"は「ポツダム宣言」の要請を充足できる。
もちろん、不幸にして順調ならざる場合に、国民の自由意思に基づくという「ポツダム宣言」の条件を満たせない懸念もなくはないが、実際上そういう事態は起こらないだろうと信じている。
――以上が金森答弁の結論です。
〇全体を振り返って
議会論戦として見た場合、宮澤議員と金森国務大臣は、意見が対立していたとはいえ、専門家同士らしくお互いの主張を理解しあったうえでのかみ合った議論をされている印象です。
あと、連載の冒頭でも触れたように、明治憲法から日本国憲法へ、「君主主権」から「国民主権」への転換の中で、天皇の法的地位はどのように変わったのか、きちんと認識を持っておくことはやっぱり大事。
昨年来の代替わり儀式やそれへの報道にしても、天皇について戦前からの「継続性」の面がしきりに強調され過ぎていましたが、少なくとも法的地位としては断絶していることを明確に認識すべきと考えます。
また、欽定憲法(明治憲法)の改正として民定憲法(日本国憲法)を制定したことについて、当時の憲法学者からは矛盾を指摘されたわけですが、いまとなってみると、国内法体系に則って日本国憲法が制定されたということで、かえって現憲法の正当性を強化する結果になっているような気がします。
(これもあくまで素人考えですが)
天皇や皇室に対してはこれからも、国民であるこちら側が主権者なんだという自覚のもとに、象徴天皇に対して敬意をもって接していきたいなと思いました。
(完)