2019/04/04

「一億総懺悔」の真相(上)

議会政治史の一愛好家が、古今の国会会議録をひたすら発掘していきます。

初回のテーマは「一億総懺悔」。 
ときは大日本帝国敗戦直後、第88回帝国議会[1]における東久邇宮稔彦総理大臣[2]の演説です。

[1]第88回帝国議会 内閣が戦争終結経緯を議会へ説明するために召集した臨時会。会期は1945(昭和20)年9月4日~5日の2日間。

[2]東久邇宮稔彦(ひがしくにのみや・なるひこ) 軍人、政治家。1945年当時は皇族。1887年生、1990年没。第二次世界大戦中は本土防衛総司令官。1945年8月から10月まで首相として終戦処理にあたる。1947年に臣籍降下(つまり皇族ではなくなった)して以後の名は東久邇稔彦。(参考「ブリタニカ百科事典」)

演説は1945年9月5日に貴衆両院の本会議場で別々に行われましたが、内容的にはほぼ同一。ここでは衆議院版を典拠とします。(貴族院版はこちら) 

文字の色が変わっている部分が会議録からの引用、それ以外の部分(黒色の文字)は管理人のコメントです。

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○議長(島田俊雄君) (前略)内閣総理大臣より発言の通告があります――内閣総理大臣稔彦王殿下
     ――――◇―――――
  〔国務大臣稔彦王殿下登壇〕

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当時の会議録は旧漢字+カタカナ文で、この場合も原文では「内閣總理大臣ヨリ發言ノ通告ガアリマス」などとなるのですが、便宜上現代文に直しました。

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○国務大臣(稔彦王殿下) 稔彦、曩に組閣の大命を拝し、国家非常の秋に方り重責を負ふことになりました、真に恐懼感激に堪へませぬ

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これまた現代ではなじみの薄い漢字・仮名遣い・読み方が続出ですが、ここは雰囲気を感じ取りましょう。
参考までに申しますと、「稔彦、曩(さき)に組閣の大命(たいめい=天皇の命令)を拝し、国家非常の秋(とき)に方(あた)り重責を負ふことになりました、真に恐懼(きょうく=おそれかしこまる)感激に堪へませぬ」と読むらしいです。

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 茲に第八十八回帝国議会に臨み、諸君に相見え、今次終戦に至る経緯の概要を述べまして、現下困難なる時局に処する政府の所信を披瀝しますことは、私の最も厳粛なる責務であると考へます、畏くも 天皇陛下に於かせられましては、昨日開院式に親臨あらせられ、特に優渥なる勅語を賜はりました、洵に恐懼感激に堪へませぬ、私は諸君と共に有難き 御聖旨を奉体し、帝国の直面する現下の難局を克服し、総力を将来の建設に傾け、以て 聖慮を安んじ奉らんと存ずるのであります(拍手)
 諸君、曩に畏くも大詔を拝し、帝国は米英「ソ」支四国の共同宣言を受諾し、大東亜戦争は茲に非常の措置を以て其の局を結ぶこととなりました、征戦四年、顧みて万感交交至るを禁じ得ませぬ、併しながら既に大詔は下つたのであります、我々臣子と致しましては飽くまでも承詔必謹、大詔の御精神と御諭しを体し、大御心に副ひ奉り、聊かも之に外れることなく、挙国一家、整斉たる秩序の下に新たなる事態に処し、大道を誤ることなき努力に生きなければならないと思ひます(拍手)

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要するに、これからも天皇のご意思に沿って臣民一同全力で頑張ろう! と言っています。
しかも「臣民」の一語によって旧戦争指導部から一般民衆までが一括りにされているのですから迷惑な話しです。
 
なお、「畏くも 天皇陛下に」「共に有難き 御聖旨を奉体し」「以て 聖慮を安んじ奉らんと存ずる」などと文の途中で一文字空いているのは、闕字(欠字)という天皇向け敬語の一種。

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 此の度の終戦は一に有難き御仁慈の大御心に出でたるものであります、至尊御自ら祖宗の神霊の前に謝し給ひ、万民を困苦より救ひ、万世の為に太平を開かせ給うたのであります(拍手)臣子として、宏大無辺の大御心の有難さに、是程の感激を覚えたことはないのであります(拍手)我々は唯々感涙に咽びますると共に、斯くも深く宸襟を悩まし奉りましたことに対し、深く御詑びを申上ぐる次第であります
 恭しく惟ひまするに、世界の平和と東亜の安定を念ひ、万邦共栄を冀ふは、肇国以来帝国が以て不変の国是とする所、又固より常に大御心の存する所であります、世界の国家民族が、相互ひに尊敬と理解を念として、相和し、相携へて其の文化を交流し、経済の交通を敦くし、万邦共栄、相互ひに相親しみ、人類の康福を増進し、益益文化を高め、以て世界の平和と進運に貢献することこそ、歴代の 天皇が深く念とせられた所であります(拍手)洵に畏き極みでありますが、 天皇陛下に於かせられましては、大東亜戦争勃発前、我が国が和戦を決すべき重大なる御前会議が開かれました時に、世界の大国たる我が国と米英とが、戦端を開くが如きこととなりましたならば、世界人類の蒙るべき破壊と混乱は測るべからざるものがあり、世界人類の不幸之に過ぐることなきことを痛く御軫念あらせられまして、御自ら 明治天皇の「よもの海みなはらからと思ふ世になと波風のたちさわくらむ」との御製を高らかに御詠み遊ばされ、如何にしても我が国と米英両国との間に蟠まる誤解を一掃し、戦争の危機を克服して、世界人類の平和を維持せられることを冀はれ、政府に対し、百方手段を尽して交渉を円満に纒めるやうにとの御鞭撻を賜り、参列の諸員一同、宏大無辺の大御心に、粛然として襟を正したと云ふことを漏れ承つて居ります、此の大御心は、開戦後と雖も終始変らせらるることなく、世界平和の確立に対し、常に海の如く広く深き 聖慮を傾けさせられたのであります、此の度新たなる事態の出現に依り、不幸我が国は非常の措置を以て、大東亜戦争の局を結ぶこととなつたのでありますが、是れ亦全く世界の平和の上に深く大御心を留めさせ給ふ御仁慈の思召に出でたるものに外なりませぬ

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天皇の名のもとに戦争を行い、臣民は命を差し出せと強要するときも、これまた天皇の名のもとにポツダム宣言を受諾し敗戦処理にあたるときも、とにもかくにも天皇のお心遣いというものはまことにありがたく、涙なしには語れぬほど素晴らしいものなのだそうです。

しかもその合間に、"実は昭和天皇は平和論者でした"神話をちゃっかり差し挟んでみるあたり、敗戦後ひと月も経たぬうちからさっそく歴史の修正に取りかかる日本軍国主義の手際の良さには感心するほかありません。

さてさて、以上のような怪しい前提のもとに稔彦王殿下が引き出した結論とは…?
演説は早くもクライマックスを迎えます。

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 至尊の聖明を以てさへも尚ほ今日の悲局を招来し、斯くも深く宸襟を悩まし奉りましたことは、臣子として洵に申訳のないことでありまして、民草の上を是程までに御軫念あらせらるる 大御心に対し、我々国民は御仁慈の程を深く肝に銘じて自粛自省しなければならないと思ひます
 敗戦の因つて来る所は固より一にして止まりませぬ、前線も銃後も、軍も官も民も総て、国民悉く静かに反省する所がなければなりませぬ、我々は今こそ総懺悔し、神の御前に一切の邪心を洗ひ浄め、過去を以て将来の誡めとなし、心を新たにして、戦ひの日にも増したる挙国一家、相援け相携へて各各其の本分に最善を竭し、来るべき苦難の途を踏み越えて、帝国将来の進運を開くべきであります(拍手)

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このくだりそこが、「一億総懺悔」の核心です。
懺悔する相手(別段戦争被害に遭っていたわけでもなく、それどころか大元帥としての戦争責任さえ問われかねない昭和天皇へはお詫びをしている反面、国内外の戦争犠牲者への視点は欠落している)も、懺悔の仕方(軍部・官僚機構と一般民衆とが同列に並べられて「反省」することになっている)も、どちらも冷静に考えるとおかしな理屈です。

これはなにも稔彦氏独自の論ではなく、明治憲法下で国体護持が最優先であった当時の日本の支配層にあっては、むしろ「常識」の範疇だったのでしょう。
国家公認の「常識」であったから免罪するという議論にはくみしませんが、「常識」の名のもとに目が曇らされ感覚が麻痺するといかにお粗末な事態を招くか、歴史から謙虚に学ぶことは必要です。

・命令するときははばかることなく権力を振り回し、
・いざとなると誰も失政の結果責任はとらず、
・"みんなに反省すべきところがある"と責任の所在をあいまいにし、
・歴史を隠蔽または捏造して真相を闇に葬り、
・それどころか"被害者に落ち度があった"と、加害者と被害者の関係性を転倒させ、責めたてることで泣き寝入りを強い、
・権力者の側では"自分は知らなかった""止める権限がなかった"と開き直って居座り、
・将来に向かっては根拠なき"未来志向"(あるいは"プラス思考")で気合いを注入してごまかし、
・そうやって教訓を引き出さないから結局は同じ過ちを再現する

という、戦前戦後を通じてこの国で繰り返されてきた無反省体質を、この演説は端的に表していると思うのです。

(次回に続く)

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