2019/04/16

唇と舌をもてあそぶ愛国者(上)

国会会議録は分量が多いし、人物像や時代背景もわかりにくい。
おまけに言い回しが難解なわりに内容が乏しいなどとお考えかも知れませんが、まあ実際そんな感じです。

では無味乾燥なのかというとさにあらず。
今回は皇国史観むき出しの貴族院議員が主人公ですが、こういう堅物の口からも、突如として退屈さを吹き飛ばす名言・珍言が飛び出したりするのが議会政治の面白いところです。

そんなわけで、1929(昭和4)年1月29日、第56回帝国議会貴族院本会議における、二荒芳徳伯爵[1]の質疑を取り上げます。(当日の会議録はこちら

[1]二荒芳徳(ふたら・よしのり) 官僚、政治家。1886(明治19)年生、1967(昭和42)年没。伯爵。東京帝大卒。内務省の官僚、宮内省参事官などを経て、1925(大正14)年に貴族院議員(勅選)、以後1947年(昭和22年)まで議員に在職。ボーイスカウト日本連盟総コミッショナーなども務めた。(参考「20世紀日本人名辞典」)

この第56議会(常会)では治安維持法改悪の緊急勅令事後承諾案が大争点となるなど、内政外交ともに激動の真っただ中。

そんなときに二荒伯爵は議会でいったい何を質問したかというと、

①日本語の正しい仮名遣いと発音について
②日本人の思想を善く導くための「善」の基準は何であるか

要するに、当時の言葉遣いや思想の乱れをひたすら憂いていらっしゃいます。

主に②の問答を追いますが、その前に①についても若干紹介しましょう。

―――――
〇伯爵二荒芳徳君 本員は文部大臣に御伺を致したいと存ずるのであります、……大正十三年十一月に臨時国語調査会と申します所の仮名遣改訂案が発表されたのであります、此改訂案は思ふに一つの研究調査の発表でありまして、之を以て我国古来の国語の用語を改訂するものとは、私は存じませぬのであります、文部当局は此改訂案を、或は教科書の改訂に用ひ、或は其他の公文に御使用になる御見込みでありますか、如何でありますか……

〇国務大臣(勝田主計[2]君) ……正に二荒伯の仰せられる通りの趣旨を以て、文部大臣はやって居りますから、是だけ御答えいたします
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[2]勝田主計(しょうだ・かずえ) 財政家、政治家。1869(明治2)年生、1948(昭和23)年没。東京帝大卒。大蔵省に入り、大蔵次官、朝鮮銀行総裁、蔵相などを歴任。1929年当時は田中内閣の文部大臣。(参考「ブリタニカ国際大百科事典」)

このあと、

・鉄道省所管の駅名表示(立札の表記)が、国語調査会案に沿った仮名遣いになっていることへの不満
・国語調査会が根拠とした東京の標準語よりも、九州のほうがむしろ正しい発音が認められる
・国語調査会案を採用すれば、国民精神の探究にあたってもっとも重要な古来の重要文書や古典の研究に支障をきたし、ひいては将来の国民思想にも問題を引き起こす

といった調子で、二荒伯爵の持論が開陳されるのでした。
(おそらく二荒氏が一番懸念していたのは最後の国民思想云々なのではないかと推測)

さて、②思想問題についてです。

―――――
〇伯爵二荒芳徳君 ……総理大臣は施政演説に於きまして、思想の善導と云ふことを縷々御述べになったのであります、私は此思想善導に対する善の標準如何と云ふことを、総理大臣から伺ひたいと思ふのであります

〇国務大臣(男爵田中義一[3]君) 只今、二荒君の御尋の所謂思想善導と云ふことは、正しく善い方に導いて行きたいと云ふ考であります
―――――

[3]田中義一(たなか・ぎいち) 陸軍軍人、政治家。1864(元治1)年生、1929(昭和4)年没。長州藩士の子。陸相などを歴任したのち、立憲政友会総裁、貴族院議員(勅選)。1927(昭和2)年首相(外相兼務)。1929年7月に総辞職し、同年急逝。(参考「ブリタニカ国際大百科事典」「新訂 政治家人名辞典 明治~昭和」)

禅問答というかなんというか、田中首相はろくに答弁する気がないようです。
(ただ、二荒氏は「更に総理大臣に御伺を致したいと存じます、恐らくは只今のやうな御返答を承ることを心私かに感じて居ったのであります」と応じているので、総理答弁は想定通りだったらしい)

ここではとにかく、当時の政府が、治安維持法による弾圧とセットで、「思想善導」と称する思想統制政策にも乗り出していた程度に理解しておけば十分。
(詳しくは、荻野富士夫氏の研究「『思想統制』から『教学錬成』へ――文部省の治安機能――」を参照)

―――――
〇伯爵二荒芳徳君 ……今日に於て所謂思想の善悪曲否と云ふことが、頗る明らかでなくなって参ったので居るのであります、即ち一面に口に正義を唱へ、政治の浄化を唱ふる者にして、其総ての行動が国民一般の、殊に真面目な者の心服を買わない云ふ所に果たして正とは何事ぞや、善とは何事ぞやと云ふ問題が、実に強い力を以て国民の脳裡を支配して居るのであります、此故に其処に所謂思想の紛糾を生じ、如何なるものを以てか善とすると云ふ疑問が生じた所に、所謂思想の最も険悪なる波動が伝わりつつあると思ふのであります……
―――――

政治指導者の言行不一致で国民からの信頼を失ったがゆえに、共産主義だのマルクス主義だのという間違った思想が広まってしまったと言いたいのでしょうか。

ここから先は二荒先生の独擅場。
曰く、田中総理は思想善導を唱える張本人なんだから「善」の標準くらい考慮があってしかるべきだ、だいたい最近新築した首相官邸は何だ、日本趣味のしない奇抜で冗費を注いだこの建物こそが今日の思想を雄弁に物語っている、さきほどの国字の根本をわきまえずいたずらに便宜法に従った立札もまた思想の不統一を説明しておるのだ、などなど、お説教が大爆発します。

二荒伯爵や田中男爵に勝手な"正しい標準思想"を決めてもらっても、国民としてはひどい大迷惑なんだが((+_+))

(次回に続く)

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