2019/05/06

憲法の基礎知識~君主主権から国民主権へ【宮澤俊義 vs. 金森徳次郎】(その1)

天皇の代替わり、平成から令和への改元と、天皇制が何かと話題のいまだからこそ、天皇と国民の関係性が明治憲法下と日本国憲法下ではどう変わったのか、きちんと認識を持っておきたいところです。

今回は、帝国憲法改正案が審議されていた1946(昭和21)年の第90回帝国議会から、貴族院本会議における宮澤俊義[1]議員と、金森徳次郎[2]国務大臣の有名な論戦(同年8月26日)を題材とします。
会議録はこちら

[1]宮澤俊義(みやざわ・としよし)
憲法学者。1899(明治32)年生、1976(昭和51)年没。1923(大正12)年東大卒、1925(大正14)年同助教授、1934(昭和9)年教授として憲法講座を担当。美濃部達吉の後継者として右翼陣営の攻撃を受けつつも、合理主義的憲法理論を展開。戦後は幣原喜重郎内閣の改憲作業、また貴族院勅選議員として日本国憲法の帝国議会審議に参加。ポツダム宣言の受諾が国体の変更にあたるとする「八月革命説」を唱えて政府を追及。1959(昭和34)年東大を停年退職、以後1969(昭和44)年まで立教大学教授。(参考「世界大百科事典 第2版」)

[2]金森徳次郎(かなもり・とくじろう)
憲法学者、官僚。1886(明治19)年生、1959(昭和34)年没。1912(明治45)年東大英法科卒。法制局に入り、法制局書記官などを経て、1934(昭和9)年岡田啓介内閣の法制局長官。著書「帝国憲法要綱」(1921年=大正10年)は高等文官試験の参考書として大いに読まれたが、その天皇機関説は美濃部事件に際して攻撃され、1936(昭和11)年辞職。戦後1946(昭和21)年、第1次吉田茂内閣の国務大臣として新憲法制定に携わる。議会における憲法審議の答弁にあたり、宮澤俊義貴族院議員の「八月革命説」と対立した。1948(昭和23)年~1959(昭和34)年にかけて国立国会図書館の初代館長。(参考「世界大百科事典 第2版」「日本大百科全書(ニッポニカ)」)

経歴からわかるように、憲法学の専門家同士が天皇制や国民主権について議場で論争した、極めて貴重な記録です。
(とはいえ、金森国務大臣は政府代表の立場なので、答弁内容がすべて金森氏個人の見解であったかは検証が必要か) 
 
宮澤議員の主張は、要約すると次の7点。

1、ポツダム宣言受諾は、国民主権主義の承認を意味する

2、国民主権主義は、終戦までの憲法の根本とは原理的に異なるものである 

3、新憲法草案は国民主権主義を採用しているはずだ

4、主権者たる国民の中に天皇が含まれるとの説明は不適当である

5、国民主権主義の承認を核心とする新憲法は、従来の国法上は「国体の変革」にあたる

6、国民主権主義の採用を内容とする憲法改正は、明治憲法第七十三条の手続きに依っていると同時に、それを超えて行われるものである

7、明治憲法第七十三条の憲法改正手続きに依ることは、新憲法が民定憲法であるとの建前と矛盾があるのではないか

後で見るように、新憲法下における「主権」の所在や国家の統治形態について、政府側は曖昧な態度をとっていました。
宮澤氏としては、憲法の専門家として事態を看過できないと考えたのでしょう。

本会議なので、まず宮澤議員が質問をまとめて行い、それに金森国務大臣がまとめて答えていますが、ここでは便宜上、論点ごとに質問と答弁を対比していきます。
 
 

〇導入部

宮澤議員は、審議中の憲法改正案について、不完全さはあるとしつつも、日本の民主化へ向けた「重要なる一歩前進」と評価し、改正案の成立を希望するとの基本姿勢を表明。
そのうえで、「原理的な問題の若干」について「箇条的に」質問すると切り出しています。 

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〇議長(公爵徳川家正君) 宮澤俊義君
  〔宮澤俊義君登壇〕

2019/05/01

権力闘争今昔物語~菅義偉 vs. 創価学会・公明党の巻~

今は昔の物語。

主役はおなじみの菅義偉氏です。
いまでこそ自公連立による安倍政権の中心人物ですが、実はかつての彼は公明党・創価学会と激しく抗争していました。

その何よりの証拠が1997(平成9)年5月27日の衆議院決算委員会第二分科会の質疑。(会議録はこちら

まずこの日の決算委分科会の出席メンバーを見てみると。

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平成九年五月二十七日(火曜日)
    午前九時開議
 出席分科員
   主 査 根本  匠君
      安倍 晋三君    奥山 茂彦君
      田邉 國男君    滝   実君
      石垣 一夫君    松浪健四郎君
      正森 成二君
   兼務 熊谷 市雄君 兼務 菅  義偉君
   兼務 山口 泰明君 兼務 玄葉光一郎君
 出席国務大臣
        文 部 大 臣 小杉  隆君
―――――

当時の根本主査は現在の厚生労働大臣、加えて安倍分科員(現総理大臣)、兼務で菅分科員(現官房長官)と、現在の第四次安倍改造内閣の閣僚が3人もいるという、かなり驚きの顔ぶれです。
(因みに、安倍氏はまさにこの日の分科会で、学校歴史教科書を攻撃する有名な質疑を行った)

ほかにも、松浪健四郎氏、正森成二氏、玄葉光一郎氏など与野党のビッグネームが並んでおります。

なお、1997年当時は橋本龍太郎内閣で、答弁に立つ小杉文部大臣も、質問する菅議員も、共に自民党所属の与党議員同士の関係。
一方、創価学会系の議員は当時は大半が新進党に所属するなど、国政では野党の立場でありました。

さて本論。
菅氏は冒頭、「政治と宗教の問題」を靖国神社玉ぐし料訴訟から説き起こします。

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○根本主査 ……次に、菅義偉君。

○菅(義)分科員 自由民主党の菅でございます。
 早速、政治と宗教の問題を中心に質問をいたします。
 本年の四月二日に、いわゆる愛媛県の玉ぐし料訴訟で、最高裁は、愛媛県庁の靖国神社での玉ぐし料への公金支出は違憲とされる判決を下しました。宗教団体に国家機関、自治体がかかわってはならないという政教分離原則を確認した判決でもあったわけであります。
 私は、個人的には、靖国神社というのは本来戦没者の慰霊の場所、施設であって、何もそこまで考える必要はないのではないかと思っておる者の一人でありますけれども、しかし、この判決は判決として尊重しなければならないということもこれは事実であります。
 改めて、この判決について、大臣の御見解をお伺いをいたします。
    〔主査退席、滝主査代理着席〕

○小杉国務大臣 今のお話は、愛媛県に関する争訟事件であって、文部大臣として基本的にコメントする立場にはありませんが、これは国家と宗教のかかわりに関する重要な判決と受けとめております。
 今回の最高裁判決は、宗教団体の行う行事に公金を支出したことが憲法の禁止する宗教的活動に当たるという判断を示されたものであって、私としてもこの判断に従っていきたいと考えております。
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菅氏の信条とは相容れない違憲判決を引き合いに出したのは、立憲主義や三権分立に対する謙虚さからではまったくなく、すぐにわかるように創価学会を攻撃する突破口として利用したにすぎません。

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