明治憲法の「君主主権主義」と、新憲法下の「国民主権主義」との区別を曖昧にしかねない答弁を繰り返した当時の日本政府。
宮澤俊義議員は、
「(明治憲法を)国民主権主義と言ふならば、どのやうな国家も苟くもそれが多少でも断続的生命を有する限り、総て国民主権主義であると言はなくてはならなくなりますし、それでは君主主権主義と国民主権主義との原理的な区別は全く意味を失つてしまふ」
と、政府の態度を厳しく批判していました。
なお、前回見た部分は「ポツダム宣言」受諾と主権の所在の関係が主論点でした。
対してここから先の何問かは、1946年当時審議中の憲法改正案の規定に焦点が移っていきます。
3、新憲法草案は国民主権主義を採用しているはずだ
宮澤氏はここで、憲法改正案の条文を見れば国民主権主義が採用されていることは明白であると思うがどうかと、基本点の確認を行っています。
―――――
〇宮澤俊義君 ……次に第三点、新憲法草案は右に述べたやうな国民主権主義を採用して居ると思ふがどうかと云ふ点であります、是は憲法の前文、其の他から言つて極めて明瞭であると思ふのであります、前文及び第一条の字句に付て衆議院で多少の修正が行はれました、私は此の修正が絶対に必要なものであつたとは必ずしも考へないのでありますが、唯一部には政府原案のやうな表現は必ずしも単純な国民主権主義を意味せず、多かれ、少なかれ、それとは違つたものを意味すると云ふ見解が行はれ、現に此の憲法改正案の定める国民主権主義は君民共治主義であるとか、更にそれは必ずしも天皇主権主義と根本的に違ふものでないと云ふやうな見解迄認められた位であります以上、さう云ふ誤解乃至は曲解の生ずる余地を防ぐ為には、此の修正は適当であつたと言へようと思ひます、併し何れにせよ、憲法改正案が国民主権主義を採用して居ることは、此の修正の有無に拘らず明白であり、又それは「ポツダム」宣言受諾に依つて最終的統治形態が、自由に表明せられた人民の意思に依つて定まるとする原理を承認した日本の憲法改正案としては、当然の態度であると思ふのでありますが、如何がでありませうか、―――――
なお、宮澤氏が言及している政府原案と衆議院修正についても簡単に。
天皇(明治憲法ではこちらが主権者だった)の地位と、国民(新しく主権者になったのがこちら)の関係性を規定した、極めて重要な条文が第一条です。
ところが政府が帝国議会に提出した改正原案では、
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、日本国民の至高の総意に基く。という表現ぶりになっていて、これでは新憲法下での主権の所在が不明確だと批判が噴出。
そこで衆議院の審議で修正され、
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。という現行の条文に落ち着いたという経過があったのでした。
「新憲法は国民主権主義だ」というシンプルなこの問いには、さすがの金森大臣も難解な論理を繰り出す余地はなく、ほぼ素直に事実関係を認める答弁をしています。
―――――
〇国務大臣(金森徳次郎君) ……第三に憲法改正案は国民主権主義を採用して居ると信するが如何か、是は御説の通りであります、国家の意思の源泉は国民の全体に在ると云ふ原理を採る、其の原理に基いて政府原案も、又衆議院の修正に依りまする文章も記述せられて居る訳であります、―――――
4、主権者たる国民の中に天皇が含まれるとの説明は不適当である
ところが当時の日本政府は、主権者である「国民」の中には天皇自身も含まれるかのような答弁を行っていました。
そのような憲法解釈がいかに無理筋かつ危険なものであるかを、宮澤議員は筋道を立てて丁寧に説明します。
(1)ここで問題なのは、天皇の地位にある個人(彼が日本人の一員でもあることは自明である)ではなく、憲法上の制度としての天皇である
(2)国民主権主義とは、ある国家の内部において、「国民」(決して天皇や貴族ではないというのが重要)が主権を有する国家体制を指す
(3)政府の解釈は、天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とした憲法改正案の根本原理を曖昧にするおそれがある
以上が要点かと思われます。
―――――
〇宮澤俊義君 ……次に第四点、主権者たる国民の中に天皇が含まれると云ふ説明は、理論的にも実際的にも不適当ではないかと云ふことであります、政府は只今も金森国務大臣が仰しやいましたやうに主権は国民に在る、国民の中には天皇が含まれると説明して居らつしやいます、併し天皇の地位が主権の存する国民の総意に基くとせられるのに、其の国民の中に天皇が含まれると説くことに、どう云ふ根拠があり、又意味があるでせうか、(拍手)天皇の地位に居らつしやる個人が、個人として日本民族の一人であられ、従つて日本人であられ、日本国民の中に含まれると云ふことは、余りに当然でありまして、特に断る理由のないことと思ひます、問題は憲法上の制度としての天皇であります、さうして制度としての天皇は明白に主権の存する国民の総意に基いて存するのであります、国民が主権を有すると云ふことは国家が主権を有すると云ふこととは違ひます、国家の内部に於て君主又は貴族が主権を有するのではないと云ふことを意味するのであります、国民主権を承認しながら、其の国民の中に天皇が含まれると説くことは、さう説くことの心持、或は感情、単純な国民主権と言ひ切るに忍びないと云ふやうな御気持は十分理解し得る所でありますが、それは天皇の地位其のものが主権の存する国民の総意に基くと云ふ根本原理を曖昧ならしめる虞があるばかりでなく、更に政府が表に国民主権を唱へながら、裏から昔ながらの天皇主権主義を忍び込ませようとして居るなどと誤解せられ、痛くない肚を探られる可能性がありはしないかと思ひます、従つて此の説明は理論的にも実際的にも妥当でないのではないかと思ふのでありますが、如何がでありませうか、(拍手)―――――
ここでの金森国務大臣の答弁ですが、冒頭から"不幸にして質疑の趣旨をよく理解できなかった"と弁明するなど、なかなか歯切れが悪い。
ただし、議論の核心部分に関する限り、天皇という公の地位についていえば「それは国民の中には含まれて居りませぬ」とはっきり認めている点が注目されます。
―――――
〇国務大臣(金森徳次郎君) ……第四に主権者たる国民の中に天皇が含まれると云ふ説明は理論的にも実際的にも不適当と信ずるが如何か、斯う云ふ御質疑でありました、是は不幸にして私は御質疑の趣旨を能く理解することが出来なかつたのでありまするが、或は私共の説明が悪くて、天皇の国民の中に含まるると云つた所に誤解を招いた点があるのかも知れませぬ、天皇を其の公の御地位に付て考へましたならば、それは国民の中には含まれて居りませぬ、併しながら天皇は公の地位をお持になると同時に、個人たる地位をお持になつて居るが、苟も日本国家を構成する所の個人が日本国民…国民と云ふ言葉の当否は別と致しまして、広き意味に於きまして、日本国家を構成する人でないとは言はれないのであります、而して是が国家主権の依つて存する国民の一員でないとは言はれないと思ふ訳であります、―――――
(続く)