2020/12/29

「索引」事件簿File.3【「総索引」刊行に意気高く踏み出したが】 #国会会議録の使われ方 その9

「索引」事件簿File.3【「総索引」刊行に意気高く踏み出したが】

  戦前から製作されていた会議録の「索引」でしたが、戦後になって、国会の「索引」をより充実させようとの機運が出てきたようです。

 国会会議録に残る情報としては、1961年の参院予算審査において、村山道雄議員(自由民主党)が「索引」の整備状況をただしたのに対して、国立国会図書館の岡部史郎・副館長が「初めて予算を取りまして、それを今年度から着手する予定」と答弁している質疑があります。

 

 第38回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第3号 昭和36年3月29日

〇村山道雄君
 国会図書館にお伺いいたしたいのでありますが、国会図書館で、国会におけるいろいろの立法、またその修正がございまして、そのつど委員会及び本会議で論議をされるわけですが、所得税法とか、関税定率法とか、国家公務員法とかという法律別に、そうしてその中の事項別に、当初の立法趣旨の説明が、何日の議事録の何ページに出ているか、それの改正のときのあれがどこに出ているかというような、全体の法律別、事項別索引というようなものができ上っておりますか。

〇国立国会図書館副館長(岡部史郎君)
 ただいま村山先生からお尋ねのございましたのは、要するに従来、議事索引という形のものでございますが、これは仰せの通りの内容のものは私ども非常に必要なことだと存じておりました。従来これをやりたいと思って努力しておりましたが、今まで従来の議事総覧の形しかございませんので、この三十六年度に初めて予算を取りまして、それを今年度から着手する予定でございます。

〇村山道雄君
 それは非常にけっこうなことであると思います。私、外国に行きまして国会図書館を見ますと、むしろ立法の今までの索引をどうやってこしらえるか、それがたな別にどういうふうに並べてあるかという説明を主としてされますので、やはりこれは議員立法が外国では多いからでありまして、日本では議員立法が少ないので、今までそれがなかったのだろうと思いますが、これから議員立法もだんだんふえてくるようでありますし、ぜひその設備をしていただきたいと思います。現状では単行本や専門雑誌は非常によくそろって、ほとんど何をお願いしても大てい出てくるようであります。それから、いろいろな国や民間の調査資料のようなものも相当そろっていると思いますが、この面ではもっとそろえていただきたいと思う点がございますが、一番私整備していただきたいと思いましたのは、ただいま質問いたしまして、今年からやるという御答弁のありました立法の詳しい索引でございますが、これはぜひ完備していただくようにお願いします。

 

 この会議録を読むと、

 ・国会会議録「索引」拡充の背景として、国会の立法機能強化が念頭にあった(村山議員も、海外の例を引き合いに出しつつ、法律別やその中の事項別の索引を重視した問題提起をしている)

 ・村山議員が求めたから進展したというよりも、質疑に先立って国立国会図書館が「索引」充実化の予算を確保していたところに村山氏が質疑で加勢をした

 らしいことが窺えます。

 因みにこの村山―岡部質疑については、分科会主査・小酒井義男氏(日本社会党)により、予算委員会へ次のように報告されました。

 

 第38回国会 参議院 予算委員会 第21号 昭和36年3月30日

〇小酒井義男君
 第一分科会における審査の経過を御報告申し上げます。[中略]
 次に、国会関係の予算につきましては、国会図書館の建設は大へん長くかかっているが、完成の目途はいつか、また、利用する者の立場からすると、立法活動の記録、ことに議事録、会議録の索引が必要であるが、作成する考えはないかとの質疑がありました。これに対し国会図書館副館長より、明年度予算一億余万円を合わせ、総額二十五億円の工事費で、本年七月末に第一期工事が終わる予定であり、八月に移転、十月から閲覧を開始するつもりである。議事録等の索引は前から作りたいと考えていたが、明年度予算で作成の費用も確保できたので、さっそく着手したい旨の答弁がありました。


 国会図書館の建設費と並行して「索引」整備の予算も確保していたわけで、なかなか意気高く踏み出した当時の雰囲気が伝わってまいります。


後日談――「総索引」刊行の予算要求など

 村山―岡部質疑のあとの数年間、後日談的な情報が会議録にぽつぽつと残されており。


会議録総索引の充実等、業務の拡大による増員要求(1962年)>

 第42回国会 衆議院 議院運営委員会図書館運営小委員会 第1号 昭和37年12月10日

〇鈴木隆夫国立国会図書館長
 それでは、昭和三十八年度の予算概算要求の概要について御説明申し上げます。[中略]
 以下、重点項目別にその概要を御説明申し上げます。
 第一は、国会の国政審議に対する立法調査奉仕の強化に必要な経費でありますが、この総額は一千八百四十四万一千円であり、昭和三十七年度予算に比較いたしまして七百八十四万四千円の増加と相なっております。その内容といたしましては、一、海外の情報収集の強化及び近来特に問題となっております。EEC関係の調査等に必要な経費といたしまして三百二十五万一千円、二、各種の調査資料を刊行するために要する経費といたしまして三百八十八万九千円の増額となっております。このほか、海外情報課の新設、会議録総索引の充実等、業務の拡大による業務量増加に対処するための要員といたしまして十四名を新規に要求いたしております。

 

<立法調査に必要な経費として、国会会議録総索引の刊行費百二十万円ほか(1963年)>

 第43回国会 衆議院 議院運営委員会図書館運営小委員会 第1号 昭和38年1月23日

〇岡部史郎国立国会図書館副館長
  国立国会図書館の昭和三十八年度予算要求につきましては、格段の御尽力をいただき、厚く御礼申し上げる次第でございます。[中略]
 以下、お手元にお配りいたしました昭和三十八年度国立国会図書館予算要求額事項別表によりまして、その内容を簡単に御説明申し上げます。[中略]
 第二は、立法調査に必要な経費でございますが、この経費は要求の重点の一つとなっておりますもので、国政審議に対する奉仕体制を強化して参りますための経費でございます。予算要求額は一千二百十三万八千円で、前年度に比較いたしますと百五十四万一千円の増加となっております。増加のおもなものは、EEC関係の調査に要する調査謝金及び調査資料の刊行費として約十六万円、国会会議録総索引の刊行費として百二十万円、その他立法資料の購入費で約十八万円となっております。

 ※なお、「第43回国会 参議院 議院運営委員会 第2号 昭和38年1月21日」にもほぼ同趣旨の発言あり。


 これらの会議録からも、国会の立法調査活動の重要な要素として、「索引」の整備拡充が位置付けられていたことがわかりますね。


「総索引」の意義は大きかったが

 このように意気高く開始された「国会会議録総索引」の刊行事業。

 「総索引」登場によって国会会議録の利用環境は大きく改善されたはずで、そのことの意義は過小評価せずに是非とも強調しておきたいところです。

 しかしながら、アナログかつ人による手作業で詳細な「索引」を製作することは、想像を超える困難を伴ういばらの道でもあったのでした……。


 【続く】

2020/12/25

「索引」事件簿File.2【空襲で焼失、再製されず】 #国会会議録の使われ方 その8

「索引」事件簿File.2【空襲で焼失、再製されず】

 帝国議会の「議事速記録索引」は、帝国議会の存続期間中ほぼ全期間を通じて製作され続けていたようです。

 帝国議会会議録検索システムに収録されているのは、

 貴族院 第1議会~第91議会

 衆議院 第2議会~第92議会

 です。

 

「索引」が欠落している会期も

 ただ、第1議会(明治23年=1890年11月29日召集)の衆議院版や、第92議会(最後の帝国議会)の貴族院版が見当たらないことをはじめ、いくつかの欠落も見受けられます。

 「索引」が欠落した原因の特定は難しいものの、何となく理由を推し量ることが可能なケースは多く、

 <第7議会(明治27年=1894年) 貴族院の索引なし>
 日清戦争の最中、広島県にて議会召集。
 会期が4日間しかなく(
10月18日~21日)、両院とも短時間の本会議が3回開催された程度で終わっている。

 <第11議会(明治30年=1897年) 衆議院の索引なし>
 会期2日目(12月25日)にして松方内閣が衆議院を解散し、会期終了。議事がほとんど行われず。
 貴族院の索引も、もっぱら前議会以降の議員の異動が記されている程度。

 といった具合です。

 

「索引」が失われた理由がわかるケース

 そして、「索引」未収録の理由が、検索システム内の別の文書によってはっきり確認できるケースがこれ。

 第86回帝国議会 貴族院 附録(本会議)

 中身はたったの1ページで、全文は次の通り。 

大日本帝国政府
 貴族院議事速記録索引は印刷局が空襲に因る罹災の為原稿焼失し再製されない

 

出典:国立国会図書館「帝国議会会議録検索システム」

 

 第86議会といえば、会期が昭和19(1944)年12月26日~昭和20(1945)年3月25日までの、つまり大戦末期の通常会。

 詳細はわかりませんが、おそらくは「索引」を一度は製作して印刷局へ持ち込んだものの、そこで空襲に遭って原稿が失われてしまい、作り直しもしないことになった――というストーリーを想像させる内容です。

 帝国議会の重要文書といえども無謀な戦争の災禍を免れ得なかったわけで、実に痛ましい出来事というほかありません。


 【続く】

2020/12/22

「索引」事件簿File.1【120年前の誤記載】 #国会会議録の使われ方 その7

「索引」事件簿File.1【120年前の誤記載】

 本連載ではこれまで、検索システムの運用開始以前は「索引」をもとに国会会議録の利用が行われていたことを述べてきました。

 現在では影の薄い存在ですが、「索引」が重要性を保っていた時代には、その作成や利用めぐって数々の事件(これが結構あるんです💧)が惹起していたようなのです。

 そのあたりの事情を今後数回にわたって見ていきたいと思います。

 

帝国議会の「議事速記録索引」

 ところで「索引」は、戦後の国会会議録についてだけでなく、戦前の帝国議会「議事速記録」(=両院本会議の速記形式の記録)でも作成されていました。
 これら「索引」は、「帝国議会会議録検索システム」にも収録されています。

 

 余談:帝国議会の「索引」は現在でも実用性あり! 

 「帝国議会会議録検索システム」ですが、戦前分は「索引」がテキスト化されているものの、会議録本文は画像版しか提供されていないのが現状です。そのため「索引」がキーワード検索に準ずる手段となる得る場合があります。
 「帝国議会会議録検索システム」を利用の際には、「索引」の活用も念頭に置くと探索の幅が広がるはず。

 

 話題を戻します。

 今回はサンプルとして、本連載の第4回で取り上げた第14議会(明治33年=1900年)を用いて、帝国議会「索引」の世界を覗いてみましょう。

 貴族院と衆議院とでは、「索引」のレイアウトや項目の分類方法が異なりますが、とりあえず貴族院版(「第14回帝国議会 貴族院議事速記録索引」)はこんなふうです。

 

出典:国立国会図書館「帝国議会会議録検索システム」

 

 件名別、事件類別、発言者別の「索引」が収録されていますが、事項索引はありません。
 また、並びがアイウエオ順ではなくイロハ順であることも時代を感じさせます。

 そして、連載第4回で取り上げた「明治二十二年法律第三十四号中改正法律案」(決闘罪の処罰を軽減する法案)は、貴族院版「索引」の22ページ目にありました。

 

出典:国立国会図書館「帝国議会会議録検索システム」、赤線は@kokkaipatrol

 

 中段の「二、二一」「二、二三」が審議が行われた日付、下段の「六七五」「七二一」などの漢数字がページ数です。

 法案の審議経過(この事例でいえば、貴族院で法案が付託されてから否決されるまで)がわかるようになっており、紙ベースで議事速記録を利用するしかなかった時代に貴重なアイテムだったことは疑いないでしょう。

 

「索引」の編集ミス

 一方でやむを得ないことですが、この「索引」には誤記などの編集ミスも紛れ込んでいます。
 全体でミスの割合がどの程度なのかはわかりませんが、私が部分的に調べた限りでは誤記が少なくなさそうだという印象を持ちました。

 さきほどの「明治二十二年法律第三十四号中改正法律案」にしても、貴族院版は問題ありませんが、衆議院版(「第14回帝国議会 衆議院議事速記録索引」)では5箇所で「明治二十九年~」と年号を誤って記載しています。
 シリーズ第4回目でも触れましたが、そもそも衆議院の議事速記録で「明治二十九年~」と誤記されており、これが「索引」のほうにも影響してしまったのではないかと私は推測しています。

 しかも、同法案に関する衆議院版「索引」の誤記はそれにとどまるものではなく…。

 

出典:国立国会図書館「帝国議会会議録検索システム」、傍線は@kokkaipatrol

 

 ①法案名が間違っている(前述の通り)

 ②「木村格之輔」議員の発言として分類されるべきところ、誤って「木村誓太郎」議員の発言とされている

 ③「木村格之輔」議員の名前を「格之助」と誤植

 

 かなり派手にミスっていらっしゃる(-ω-;)ウーム

 「索引」の編纂、やっぱり大変な作業だったのでしょうね。。。
 苦労が偲ばれます(__)


 【続く】

2020/12/18

件数をカウントする――「索引」のもう1つの使い方 #国会会議録の使われ方 その6

件数をカウントする――国会会議録のもう1つの使い方

 国会会議録には、中身を読んで研究する以外にも利用法があります。

 それは、ある特定のテーマがこれまでに国会で何度議論されたか、あるいはある人物は過去に国会で何回発言しているかといった、「件数」を調べるという手法です。

 検索システムが整備された現在では、「過去にこのキーワードが何件」などという論戦が日常的に行われています。

 ただ、よく考えると「総索引」すらなかった時代にこのような発言は不可能だったはずだし、おそらくは議員にとっても回数を数えてみようという発想さえ浮かばなかったのではないでしょうか。

 私が調べた範囲では、このような「件数提示型」(仮称)の質疑が出てきたのは1990年代(=「索引」がデータベース化された時期)、盛んになったのは2010年代半ば以降(「検索システム」が議員にも定着してきた?)ではないかという印象です。

 

「一生懸命勘定した」から「昼休みに調べた」まで――「索引」時代の質疑から

 それでは「索引」時代の「回数提示型」質疑の実例を。

 まずは事項索引を用いた例。

 

 (1)いじめ問題が国会で取り上げられた回数を調査

第131回国会 参議院文教委員会 平成6(1994)年12月13日

〇木宮和彦委員(自由民主党)
 きょうはいじめに対する集中審議ということでございますので、最初にお断りしておきますが、文部省の事務方はひとつ聞き役に回っていただいて、専ら文部大臣、特に文部大臣には血の通った御答弁を賜りたいと、かように思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 私も、実は今回質問するということで資料を多少集めましたが、国会の議事録の索引のデータベースを取り寄せました、国会図書館から。そういたしましたら、ここへ持ってまいりましたけれども、これは索引ですから、だれがどこで何をはいいんです。質問者とお答えした人の名前と期日だけです。これだけあります。これがそのデータです。
 そもそもこれはいつから始まったかというと、百二回の国会から百二十八回の国会までの質疑の様態がここに全部データベースとして出ています。これは内容は書いてないんですよ、事柄の索引ですから。この間に質疑が百十九回、答弁が百五十五回、私一生懸命勘定したんです。参考人が五回、公述人が一回、全部で計二百八十回、実はこれだけの審議をされておるんです。


 因みに、木宮議員が遡ることができたという第102回国会とは1984年12月に召集された常会ですので、約10年分を調べたということになります。

 ただ、この木宮質疑では回数も一生懸命勘定したが、同時に議論の中身も調べたというように読めるのですが、次のケースはもっと大胆です。

 

 (2)大蔵省局長時代の国会出席は26日間

第142回国会 参議院予算委員会 平成10(1998)年4月3日

〇笠井亮委員(日本共産党)
 松野参考人は、午前の質疑以来繰り返し、当時国会審議に忙殺されていた、そして山一の問題が耳に入ったので調べるように指示をしたけれども、その後トレースしなかった、確認しなかったと答弁されました。
 私、昼休みに、局長がどんなに忙しかったか、当時のことを調べてまいりました。国会会議録の総索引がございます。当時、九二年でありますけれども、この問題が一月下旬ということですから、その後二月から局長がおやめになった六月まで百五十日間あります。そのうち国会で答弁されたのが何日あるか。わずか二十六日でございます。私は、国会審議が忙しかった、これはまさに言い逃れをして、そしてまともな答弁をしていないんだというふうにしか受け取れないわけであります。

 

 笠井議員が使ったのは発言者別の索引ですね。

 この笠井質疑は完全に会議録の「中身」は捨象し、「回数・件数」にのみ着目しています。
 昼休みの短時間で調査したせいもあるでしょうが、そもそもの問題意識として、松野氏の発言内容にはあまり関心がなかったともいえそう。


 次の藤村質疑も、総理発言の中身と共に、量的な「少なさ」への問題意識が窺われます。

 

 (3)橋本龍太郎総理は教育改革の発言が少ない?

第142回国会 衆議院文教委員会 平成10(1998)年5月15日

〇藤村修委員(民主党)
 引き続き、中高一貫教育制度導入を中心に質問をさせていただきます。
 きょうの朝からの議論の中でも少しは出てきているとは思いますが、そもそも橋本内閣は、昨年の一月に、六つ目の改革として教育改革をつけ加えられて、教育改革は重要な位置づけにありますが、橋本総理、教育改革、中高一貫、このぐらいのワードで議事録などを検索いたしましても、余り発言がないのですね。


 藤村氏が何を用いて「議事録を検索」したのかはやや判定が難しいのですが、おそらく国会会議録検索システムの運用は藤村質疑の翌年だったはず。
 (因みに、さきほどの「総索引」を活用していた笠井質疑とこの藤村質疑とはたったの1ヵ月違い)

 よって、「ワードで議事録を検索」というのは、「索引」のデータベースで検索したという意味だったのではないかと推測しております。
 間違っていたら(。-人-。) ゴメンネ

 

検索システム登場後、件数提示型の論戦がいっそう盛んに

 かつてはほぼ不可能だった「件数」の調査ですが、現代では検索システムを利用すると真っ先に目に飛び込んでくるのが、"該当する会議録は何件で、該当する発言は何箇所か"という情報です。

 それぞれの時代で"できたこと"と、"できなかったこと"、アクセスできた資料は何だったかを考えながら国会会議録を読むと、新たな角度からの気づきがありそうです。

 また、「件数」に着目した国会論戦が増えたのは検索システム登場後ですが、本格的に急増したのは2010年代半ば以降というのが私が調査しての印象です。その背景や影響についても検討する余地があるかも知れません。

 「件数提示型」の国会発言には、前例を無視した法解釈や議会運営への抗議というケースも多いですし、また会議録の中身をきちんと読まずに「件数」だけが独り歩きするとまずい場合も想定されるからです。

 「検索システム」登場後の傾向と問題点については、また別な機会に検討するかもしれないし、結局しないかも知れません(ぇ)😓


 【続く】

2020/12/15

国会会議録「索引」を実際に使ってみた #国会会議録の使われ方 その5

国会会議録「索引」を実際に使ってみた

 本シリーズの1回目では、

 ・検索システムがなかった時代は、「索引」が国会会議録利用者の頼みだった
 ・「索引」は、発言者別あるいは事項別といった括りで編纂されていた
 ・会議録本文に先立ち、「索引」だけはいち早くデータベース化されていた

 ことを紹介しました。

 現在ではあまり注目される機会のない「索引」ですが、一体どんなものなのか。
 とりあえずはネット上で閲覧できる国会会議録の「索引」を眺め、実際に使みるところから始めます。

 なお各種資料によると、国立国会図書館から「国会会議録総索引」というものが出ていて、この中に発言者索引や事項索引が揃っていたらしいのですが、現在のところ「総索引」はネット公開はされていないようです。

 そこで本稿では、インターネットでも閲覧できる資料として、衆議院のみの「索引」や、特定分野のキーワードのみを収集した事項索引など、部分的・限定的な「索引」を主題として取り扱うことと致します。


発言者別の「索引」

 まず発言者別の索引について。

 「国会会議録検索システム」には院別の「索引」が登録されていて(題名は「第~回国会 衆[参]議院 索引」)、この中に発言者索引も収録されております。
 また同「索引」には、発言者別のみならず、委員会別、議案別などの索引もあり。

 ここではサンプルとして「第136回国会 衆議院 索引」を見てみましょう。(第136回国会は、平成8年=1996年の通常国会)

 

出典:国立国会図書館「国会会議録検索システム」

 

出典:国立国会図書館「国会会議録検索システム」、傍線は @kokkaipatrol


 本会議編の議員50音順の冒頭に出てくるのは、愛知和男議員です。(同「索引」p.15)
 愛知議員は第136回国会の会期中、本会議で5回発言していることがわかります。

 そのうちの1回目は、
 「国務大臣の演説に対する質疑 2号の十六」
 とありますので、さっそく答え合わせに、検索システムで
 「第136回国会 衆議院 本会議 第2号 平成8年1月24日」の16ページ目
 を開いてみると。

 



〇議長(土井たか子君) 愛知和男さん。
    〔議長退席、副議長着席〕
    〔愛知和男君登壇〕
〇愛知和男君 私は、新進党を代表して、橋本総理に質問をいたします。(後略)


出典:国立国会図書館「国会会議録検索システム」、傍線は @kokkaipatrol


 みごと的中しました!\( 'ω')/ ←当たり前

 かつては国会会議録を紙の冊子で開いていたわけで、あくまでも疑似体験の域を出ませんが、要領としてはおそらくこんな感じで国会会議録を利用していたのではなかろうか。

 

事項別の「索引」

 事項別の「索引」は、現在の検索システムでいえばキーワード検索の源流にあたり、国会会議録ユーザーからの需要は相当に高かったはずです。
 (なお、後出の『国会会議録から見た国立国会図書館』を見ると、昭和40年=1965年の第48回通常国会ころまでは「総索引」の事項索引が作成されていなかった旨の記述があり、裏を返すと事項索引が登場したのはその後だったと推測しております)

 事項別の「索引」がインターネット上で公開されている例は少ないようで、私が発見できたのは次の2例。

 

 (1)99年、会議録検索システム供⽤ 「開かれた国 会」への⻑い道』(毎⽇新聞、2018年10月22日付) 

 記事の冒頭に「総索引」中の1ページが掲げられており、「インセンティブ規制」「インターチェンジ」 「インターネット」の事項を読み取ることができます。
 キャプションによると、
1996年の通常国会(第136国会)を収録した翌97年発行の「国会会議録総索引」から』とった画像なのだそうで、「総索引」を垣間見ることができる貴重な1枚となっております。

 

 (2)『国会会議録から見た国立国会図書館 : 国立国会図書館関係国会会議録索引』(渡辺幸秀、国立国会図書館、1991年)

 国立国会図書館に関する議論が出てくる会議録をピックアップした文献。
 対象が限定されている(委員会のみで本会議は除外、期間は第1回国会~第48回国会まで)とはいえ、「この索引を作成するにあたり,極力会議録の本文すべてに目を通すようつとめた」そうですから、気の遠くなるような労作であります。

 先人の努力に思いを馳せつつ、こちらも実際に試してみよう。

 

出典:国立国会図書館デジタルコレクション、強調と傍線は @kokkaipatrol

 

 冒頭にあるのは、第1回国会(昭和22年=1947年)編で、
 「衆 議運3(22.7.8)/国会附属施設の用地として国有地移管に関する件説明(当館の用地について)/p23/●大池真(衆議院事務総長)」
 そこで検索システムで、
 「第1回国会 衆議院 議院運営委員会 第3号 昭和22年7月8日
 を開いてみる。

 


 

〇淺沼委員長 次に國会附属施設の用地として國有地移管に関する件を議題に供します。案件の内容について事務総長から御説明願います。

〇大池事務総長 これはすでに昨日の協議会で一應御了承願つたのでありますが、今お手許に配付いたしました第二ページに書いてありますように、國会図書館その他附属建物の用地がどうしても必要なわけでありまして、一番最初に私どもが考えております青寫眞のまん中の本議事堂の西側の黄色くなつております所へ、一應議員事務室をつくりたい。こういう予定をしているわけでございまして、(後略)

 

出典:国立国会図書館「国会会議録検索システム」、傍線等は @kokkaipatrol

 

 お目当ての議題があったぞ!\\\\٩( 'ω' )و ////

 若干注意が要るのはページ数。
 これは会議録の1ページ目ではないかという気もするのですが、「p23」というのはおそらく他の委員会議録と続きの通し番号なんでしょうね。紙面の左下欄外に「二三」の漢数字が見えます。

 

 【続く】

2020/12/11

審議の材料が速記録しかなかった件 #国会会議録の使われ方 その4

審議の材料が速記録しかなかった件

 "現在と比べると"閲覧するのに一苦労だったというかつての国会会議録。

 とはいえ、何だかんだ言っても会議録(議事速記録)は、国会(帝国議会)の議員たちにとって比較的入手しやすい資料でもあったようです。

 それどころか帝国議会の様子をよくよく見ていきますと、速記録をもっぱらの頼りに法案審査に臨んだという場面も出てきます。

 またそこでは、貴衆両本会議の「議事速記録」の優れた速報性により、数日後には次の議会審議へと反映されうる環境があったことも見えてまいります。

 

決闘罪処罰軽減法案の審議から(1900年、帝国議会)

 明治33(1900)年の第14回帝国議会に、「決闘罪処分法中改正法律案なる議案が上程されました。(なお、衆議院の審議途中で件名が「明治二十二年法律第三十四号中改正法律案」へと変更)

 刑法とのバランスを考慮して、決闘罪への刑罰をもっと軽くすべきという大義名分で提出された、衆議院の議員立法です。

 その刑罰を「軽くする」という度合もかなり大胆なもので、たとえば、
 「第二条 決闘ヲ行ヒタル者ハ二年以上五年以下ノ重禁錮ニ処シ二十円以上二百円以下ノ罰金ヲ附加ス
 という現行の条文を、
 「
第二条 決闘ヲ行ヒタル者ハ一月以上一年以下ノ重禁錮ニ又ハ四円以上四十円以下ノ罰金ニ処ス」(衆議院修正後の条文案)
 すなわち、重禁錮の期間を大幅に短縮の上、罰金を付加する条件から「又は」に置き換えるという提案です。

 また、同法案が審議されたのは第14議会の会期末であり、

 2月14日(水) 衆議院 審議入り(特別委員に付託)
 2月16日(金) 衆議院 委員会審議
 2月19日(月) 衆議院 本会議(委員長報告と採決)
 2月
21日(水) 貴族院 審議入り(特別委員に付託)
 2月23日(金) 貴族院 委員会審議/本会議(委員長報告と採決) <同日に会期終了>

 という、なんとも慌ただしい日程でありました。 

 

衆議院では「異議なし」で可決、貴族院では「起立者なし」で否決 

 法案審査自体も実にあっさりしたもの。
 衆議院本会議での委員長報告(木村格之輔議員=憲政本党)にしても、

 ①政府はこの法改正案に同意しなかった

 ②だが、決闘罪が刑法との権衡を失していることは政府も認めた(政府としては刑法改正時に是正するつもり)

 ③ならば決闘罪は改正するのが当然だ

 くらいしか触れていません。


〇木村格之輔君(百七十三番)
 極簡単に本案委員会の経過を御報告致します、委員会に於きましては御手許に御回し申しました通修正可決致したのであります、それで唯政府の意向だけを諸君にちょっと御報道致します、政府に於ても此案の此元の決闘罪に対する罪の権衡を失して居ると云ふことを認めて居る、認めて居るけれども、是は刑法の改正のときにやる積であるからと云ふので同意をせなかったのであります、併し既に法律の不均衡なることを、認めました以上は、直ちに之を引直すと云ふことは当然のことでありますから、委員会の修正の通決議あらんことを望みます
 

 

出典:国立国会図書館「帝国議会会議録検索システム」、強調筆者(@kokkaipatrol)


 <WARNING!>
 当時の議事速記録で「明治二十九年法律第三十四号中改正法律案」となっているのは明らかな誤記で、正しくは「明治二十二年」。
 衆議院の議事速記録では他の箇所でも「明治二十九年」と誤記されており、利用時に要注意。

 

 衆議院では前述の委員長報告の後、すぐに読会省略の動議があり、「異議なし」で衆議院は難なく通過

 ところが一転、4日後(2月23日)の貴族院本会議では「起立者なし」(=賛成者なし)で同法案が否決されてしまいます。

 両院の構成がまったく異なる帝国議会では、議決の食い違いは珍しくありませんでしたが、とはいえなかなか極端な結果ですね。

 

衆議院の「議事速記録」を4日後には貴族院で活用

 ここまで述べような事情も念頭に、貴族院側の議事速記録、特に2月23日の委員長報告(子爵曾我祐準 [そが・すけのり] 議員)を眺めてみると、当時の議会審議の一端が垣間見える発言がチラホラと出てまいります。


〇子爵曾我祐準君
 明治二十二年法律第三十四号中改正法律案、此案の委員会の結果を報道致します、本案は今日諸君も御承知の通り午前の会議中退席を願って委員は審査を致しました、此案は何事の案かと申しますれば決闘に係る案であります、 [中略] 二十二年の此決闘に対する法律を非常に軽くすると云ふ案であります、それで勿論是は衆議院案のことでありますに依って如何なる理由で此必要を認めたかと云ふことは分かりませぬ、衆議院案のことでございますから……併ながら速記録抔[など]に拠[よ]って見ますると他の刑法に対して決闘を比較的重く見て居る、それで権衡を失して居る、と言ふやうなのが精神らしいであります、それで政府委員も同意したとはありませぬけれども……同意してはありませぬ、刑法の修正は追々必要を認めて居るが是のみ今改正することは賛成しなかったと云ふやうに答へられて居るやうであります、貴族院の委員会に於ては今日でありまして政府委員に其席に出て貰ひまして意見を聞く暇がございませぬでありました、何分御承知の通り非常に急ぎましたから、唯今までも時間が掛るやうでございましたら十分に調査も出来ましたらうが、之を調査しまする時分には左程時間があらうとも思ひませぬでありましたに依って、政府委員に委[くわ]しい説明を請ふ暇もありませぬ、それで委員会の決議は一向此案には賛成を誰も致しませぬ、今日別に之を軽くする必要は認めない、それに依って委員会に於きましては是は否決すべきものと委員一同一人の不同意者もなく否決と極[きま]りましてございます、此段御報告を致します


出典:国立国会図書館「帝国議会会議録検索システム」

出典:国立国会図書館「帝国議会会議録検索システム」、強調筆者(@kokkaipatrol)

 この曾我委員長報告から読み取れそうなこととしては、

 ①衆議院から出た議員立法の趣旨を貴族院側はよく知らない(帝国議会では、もう一方の院から送付されてきた議員立法の場合、提案者自らが出席しての趣旨説明は行われていなかった様子)

 ②貴族院の特別委員としては、決闘罪に対する政府の立場を重視しており、政府委員から意見を聴取したかったのだが、会期中最後の本会議に間に合わないと思い断念した(ところが本会議の議事が遅延していたため、結果論としては政府委員出席のもと法案を審査する時間を確保することは可能だった)

 ③従って、委員会の審査にあたっての情報源としては、衆議院の速記録のみに頼らざるを得なかった(提出者の意思も政府委員の意見も、速記録によって間接的にその概略を知った

 ④特別委員で相談した結果、本改正案は不要であり否決すべしと全員一致で意見がまとまった

 ということになりましょうか。

 2月23日に貴族院の曾我委員長が参照したという「速記録」は、衆議院・木村委員長の報告を掲載した2月19日の議事速記録で間違いないでしょう。

 例の葦名ふみ様の論文『「国会会議録」前史 : 帝国議会 議事録・委員会の会議録・速記録・決議録の成立と展開』によりますと、帝国議会の『本会議の議事速記録は、官報の号外として公表され(議会開設当初の例外を除く)、会議の翌日付の官報に掲載された。』(「レファレンス」2013年1月号、p.70)という極めて速報性の高いものでした。4日後の議会審議に反映させることも十分に可能であったと推測されます。

 こういう何気ないところにも、国会会議録にまつわる歴史や、そのときどきの会議録ユーザーの姿がふいに顔を出すもので、面白いなあと思います。

 以上のいきさつを経て、「明治二十二年法律第三十四号(決闘罪ニ関スル件)」は存続することとなりました。

 その後、刑法のほうは諸般の改変がありましたが。決闘罪についてはその改廃に関する議案が上程されることはなかったようです。
 結果、130年以上前の条文が一度も変更されることなく、そのまま生き続けて今日に至っています。


おまけ:決闘を処罰すると国民・国家の元気を害する!?――衆議院委員会会議録から

 ところで、ここまでは本会議の議事速記録がどのように利用法されていたかに焦点を当ててきたため、委員会審議への深入りは避けてきました。

 しかしながら、決闘罪改正案に関する衆議院の委員会会議録(残念なことにこの委員会には速記官が付いておらず、要約版の会議録なのですが)を調べてみますと、なかなか驚くような論戦が展開されていますので、ついでにご紹介いたします。

 まずは2月16日の委員会から。
 決闘罪の処罰軽減法案提案者であり、特別委員長でもあった木村格之輔
氏の発言です。


〇委員長木村君
 決闘は双方の契約に依りて為すものなり然るに刑法の規定に於ける一般の犯罪例へは自殺に関する罪の如きに比し其の刑を重く為したる理由如何


 刑法との比較で刑が重すぎるという主張はともかく、「決闘は双方の契約」だからという理由付けは、素人的にはやや意表を衝かれました。

 衆議院の本会議では委員長報告に「異議なし」で通過した同法案ですが、委員会のほうでは実は委員の意見が割れていて、最後は委員長裁決により可決したそうですから、木村氏の発言権の大きさが想像できようかと思います。

 

出典:国立国会図書館デジタルコレクション「衆議院委員会会議録 第14回帝国議会」

出典:国立国会図書館デジタルコレクション「衆議院委員会会議録 第14回帝国議会」


 また、同じ特別委員会には、ここまで解説してきた改正案とは別に、決闘罪を廃止すべしというより過激な法案も付託されていました。
 この決闘罪廃止法案のほうは、2月20日に委員会で審査が行われていますが、憲政党・持田直[もちだ・ちょく]議員の提案理由がこれまた物騒な穏やかならざるもので。


〇委員持田君
 本案提出の理由を陳述せむに明治二十二年法律第三十四号は国民の志気を奮起し国家の元気を振興するに害あるのみならす相互の承諾上より成立したる格闘たるにも拘わらす其の殺傷したる者を罰するに他の破廉恥心より出てたる謀故殺罪を犯したるものと同一の刑を以て罰するか如きは実に非理不当の甚しきものなり之れ本案を提出したる所以なり


 "決闘を処罰すると国民の志気と国家の元気を害する"って、ぉぃぉぃ……(; ・`д・´)

 さすがにこの廃止法案は否決となりましたが、その理由というのも、


〇委員長木村君
 本案提出者の意思は決闘罪なるものは他の破廉恥罪即ち謀故殺罪に比して大に恕[ゆる]すへく寧ろ罰せさるを可とすとの説も一理なきにあらすと雖[いえど]若本法を廃せは以後決闘を為す者は刑法の各本条に依て罰せらるへく却て決闘処分に比し重刑を負はさるへからす果して然らは本案を提出したる理由毫[ごう]も貫徹すること能わさるのみならす、世上往々法律に暗き輩決闘罪処分法の廃止を聞き喜むて之を犯すときは社会の安寧秩序は何を以て維持することを得るや而して決闘罪は敢て酷刑を科すへき必要なきを以て既に本員外一名より現行決闘処分法(明治二十二年法律第三十四号)の改正案を提出し既に衆議院の議決を経たり故に本案は之を否決せむことを望む


 廃止法案にも一理あるがとの前置き付きで、

 (1)決闘罪を廃止すると、刑法が適用され却って重罪になるおそれがある(それを避けるために、決闘罪の処分を軽くする法案を前に可決しておいた)

 (2)法律に暗い連中が喜んで決闘を始めるかも知れず、さすがにまずい

 というものだったようです。

 

出典:国立国会図書館デジタルコレクション「衆議院委員会会議録 第14回帝国議会」

 そういえば帝国議会時代の衆議院では日常的に実力行使の乱闘事件が起きていたとも聞きます。
 議員自身がそんな調子ですから、「
相互の承諾上より成立したる格闘」ならむしろ元気が宜しいといった、暴力容認の思想が蔓延していたのかも……((+_+))

 このような背景をもって衆議院から提案された決闘罪処罰軽減法案が、政府の反対に遭い、貴族院の総スカンによって葬り去られたのも無理はないなあと個人的には思ってしまうのでした。

 良い子の皆さん、決闘は犯罪です。絶対にやめましょう。


 【続く】

2020/12/08

図書館通いで速記録を調査――議員の論戦準備、戦前編 #国会会議録の使われ方 その3

図書館通いで速記録を調査――議員の論戦準備、戦前編

 速記形式の会議録が国会議員にとって第一級の資料という事情は現在だけのことではなく、帝国議会の時代もまたしかり。

 ここでは実例を1つだけ。1915年の衆議院委員会議録から、第36回帝国議会 衆議院 明治四十五大正元年度予備金支出の件外十件(承諾を求むる件)委員会 第4号 大正4年6月4日を掲出します。

 齋藤隆夫委員(立憲同志会=当時の第二次大隈内閣与党)と、古谷久綱委員(立憲政友会=当時は野党)の論争中、どちらがより過去の議会審議の経緯に精通しているかを張り合う場面があり、両者の会議録マニアぶり、もとい勉強家ぶりが垣間見えます。 

 余談その1。
 この
委員会では、政府が行った予算超過・予算外支出(いわゆる「責任支出」)の事後承諾議案が焦点となっていますが、そちらに深入りする余裕がありませんので詳述は避けます。
 もし興味がおありでしたら、
<論説>大正初期の「剰余金支出」問題 : 第二次大隈内閣期を中心として』(国分航士史林』2015年5月)をご参照さいませ。

 余談その2。
 この6月4日の委員会は、対政府の「質疑」ではなく(質疑は前回までの委員会で済んでいた)、委員同士が議案への賛否とその理由をぶつけ合う「討論」を行う場でした。
 逐条的な審査を行っていることと合わせて、現在の国会には見られない委員会運営であり、議会制度史の観点からも学ぶ所がありそうです。

 

齋藤委員の発言① "違憲論は決着済み。過去の議論は議院の図書館で速記録をひもとけばわかる"

 それでは本題。委員会議録の引用です。
 若干長いですが、とりあえず下線+赤字の部分を拾って読んでいただければと思います。

 

 まずは齋藤委員の発言。

 「責任支出」違憲論を主張する委員(立憲国民党・野添宗三氏のこと)があるが、その議論はもう二十年来の議会審議で尽くされて決着済みだ、議院の図書室に行って速記録を読めばわかる(ここが重要)と言っています。

 

〇齋藤隆夫君
 責任支出の憲法上の観察に付きまして議論が起って居ります、 [中略] 憲法を運用するところの議政道徳は、議会が一度与へたるところの解釈は容易に変更すべからずと云ふ義務を議会に向って命じて居ると思ふのであります、それ故に昨年解釈したるところをば本年は之を改める、又本年始めたる事例をば明年に於て之を打壊すと云ふことは、議政道徳の排斥するところである、殊に此責任支出の如きは明治二十四年以来の政府も議会もあらゆる議論を尽しまして、政府は之をば違憲に非ずと認め、議会も之を是認し、更に進んでは憲法制定の最高権力者も之を認めて、二十年以来動かすべからざる事例となり、解釈となって居るのであります、 [中略] 個人としては何れも意見はあります、併し是は個人の意見であって、国家の機関たる議会の意見ではない、殊に此議論は長い間議会に於て繰返されて居るところの議論でありまして、如何なる議論が現はれたと云ふことは、議院の図書室に行って速記録を繙[ひもと]きましたならば、其等の議論の上には最早黴[かび]が生えて居る、 [中略] 此事は最早議論は尽きて居る、議会に於て議論があるのみならず、二十年来の速記録に於て繰返されて居るから、是に対して意見を闘はすのは全く無用のことであると思ふ

 

出典:国立国会図書館「帝国議会会議録検索システム」、傍線・強調筆者(@kokkaipatrol)

出典:国立国会図書館「帝国議会会議録検索システム」、傍線・強調筆者(@kokkaipatrol)

古谷委員の反論 "与党諸君は野党時代に違憲論を唱えていた"

 対して古谷委員、

 ①初期の議会では「責任支出」への異論が出ており、憲法解釈が定まっているというのは違うのではないか

 ②齋藤委員は憲法違反説の議論自体をすべきではないと言うが、現在与党の諸君が昨年までは野党として違憲説を唱えていたではないか

 と反論を行います。

 但し、古谷氏自身は「責任支出」違憲論者ではなさそうで、持論を述べる場面では、合憲であることを前提に、政府が行った支出の"中身"への批判から議案の一部を不承諾とすべきと主張されています。


〇古谷久綱君
 [前略] 齋藤さんの御議論に依りますと、此委員会及本会議で憲法上の議論は一切しない方が宜い、其訳と云ふものは個人の議論はいろいろ違ったことがあるであらうけれども、此衆議院即ち憲法運用の機関たるところの帝国議会の一部の衆議院に於ては、もう既に明治二十四年以来定まった公の解釈があるのであるから、それに従はなければならぬと云ふ御話でありますが、私の調べましたところに依りますと、必ずしもさうではないやうであります、不承諾を唱へましたのも、第四第六議会の如き明かに不承諾を唱へて居るのであります、故に一定不変の解釈が公けの機関の上にあると云ふことを仰しやるのは、少し事実に違って居りはせぬかと考へるのであります、それから又もう一つ私は甚だ奇妙に感じますることは、私自身が唱へ出したことではありませぬが、今日野添さんから憲法違反論が出ましたに付て、此違反論はすべきものではないと云ふ御話でありますけれども、現に昨年の議会までは今日の政府与党の諸君が口を揃へて此違憲論を唱へて来たのであります、ここに委員となって御出になる御方でも其論を侃々諤々御述べになった御方は、御名前を指せば幾人もありますけれどもそれは控へますが、皆さん非常な御議論をなさって御出でなったのであります、 [後略]


 

齋藤委員の発言② "古谷君は毎日図書館に通って速記録を調べたと聞いたが……"

 古谷委員の問い対して齋藤委員、まずは論敵・古谷氏の熱心な調査ぶりに敬意を表したうえで(ここが再び重要)、 

 ①衆議院ではじめから憲法解釈が定まっていたわけではないが、議論を尽くした末に、第9議会で解釈が定まり、以降は定着している

 ②現与党の昨年までの違憲論については知らない。齋藤個人の見解はこれまで述べてきた通りで、衆議院という一機関がそう簡単に憲法解釈を変えるべきではない

 との回答を行いました。


〇齋藤隆夫君
 古谷君の質問に対して御答を致します、古谷君は聞くところに依ると、今度議員に当選せられたる以来、毎日本院の図書館に通ふて責任支出に関する速記録を初から終まで御調べになって居ると云ふことを聞きました、実に御熱心の程は感心致して居るのでありますが、私が最前申しましたところの二十年来一定したところの解釈と云ふことをば少し誤解になって居ると思ふ、私は此問題が明治二十四年に初めて議会に表はれた以来、議論がなかったとは言はないのであります、政府も議論をし、議会も議論をし、双方憲法上の議論を十分戦はせた末に於て此解釈が一定した、斯う云ふことを申して居るのであります、それをば議会の上に申しまするならば、第九議会まではいろいろの意見があったのである、 [中略] 委員会に於て否決し、本会に於て可決したと云ふやうな例があるが、第九議会に至って全く争議が一定して、政府も違憲にあらずと断じて、議会も之を是認して、それより今日に至るまで、此責任支出に付て憲法違反なりと云ふ理由を以て不承諾を与へたことは唯の一回もないのであります、此事を予め御承知あらんことを希望致します、それから次に昨年来政府与党の間に違憲論があった、是は本員の知るところではない、同志会が如何なる意見を唱へたか、中正会其他の人が如何なる意見を唱へたか、それは私の知るところではない、私自身の解釈としては、此問題は既に議会と云ふ憲法上の機関に依って一定して居る解釈であるから、容易に動かすべきものではない、之を動かすと云ふやうな寧ろ軽率なることは慎まなければならぬと云ふ私一己の意見でありますから、其点は誤解のないやうに願ひます

 

出典:国立国会図書館「帝国議会会議録検索システム」、傍線・強調筆者(@kokkaipatrol)

  齋藤氏や古谷氏が速記録を調査するために通ったという衆議院の図書館、想像するだけでワクワク致します(((o(*゚▽゚*)o)))

 

 【続く】

「索引」事件簿File.5【索引編集は臨時的な仕事ではない】 #国会会議録の使われ方 その11

「索引」事件簿File.5【索引編集は臨時的な仕事ではない】   シリーズ第9回 では、1960年代から国会会議録の「総索引」が編纂されるようになった(従来の「索引」からの拡充が図られた)こと、   シリーズ第10回 では、1970年代からは国会の業務にもコンピューター化の波が押...